藤崎流古武術伝




転校生水琴

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ガルルルルルルルルル…。
姿勢を低くして、今にも飛び掛らんとしている犬が唸っている。とある農家で放し飼いにされている、凶暴なことで有名なドーベルマンである。

その犬が見つめる先には、ぶっきらぼうに制服を着込み、鞄を肩にかけてこちらを見つめる少年がいる。…雄一郎であった。

その間、約3メートル。互いに睨み合い、動きを観察しあう。殺気をむき出しにして威嚇する犬とは対象に、雄一郎は冷めた表情で犬を見下している。犬の方に余裕が見られないのは明らかである。

やがて、痺れを切らした犬が襲い掛かる。雄一郎の喉元をめがけ、一直線に飛び掛かる。

ドンッ!
よく響く低音と共に犬が宙を舞う。雄一郎のなぎ払った右腕が、見事犬の首筋に命中させたのであった。

犬は無様に地面に叩きつけられる。転げながら起き上がると、小さな悲鳴を上げて家の方へと逃げていった。

「相変わらずちょろい相手だ…。」
「あー、またいじめてるー。」

歩き出そうとした雄一郎に、何者かが声をかけてくる。聞き慣れたその和やかな声に、雄一郎は振り向くことなく歩き出す。

「またあの犬のこといじめてるー。ダメだよー。」
「知ったことか。あいつか勝手に襲い掛かってくるんだよ。」

その声の主は小走りで雄一郎に追いつく。雄一郎がこの男子生徒にまともに取り合わないのは、お互い承知の上だった。

「つーか、なんでお前がここにいるんだ?いつもならとっくに学校に着いてるだろーによ。」
「いやあ、今日はちょっと寝坊しちゃってさ。慌ててきたんだけどこんなところに雄ちゃんがいたもんだから…」

雄一郎を雄ちゃんと呼ぶこの男子生徒の名は桐咲葵。雄一郎の同級生で、小学校の頃からの顔見知りである。
雄一郎はあまり友好的に扱ってはいないが、邪険にもしていないので昔からなついている。気が強い方ではないが、愛想の悪い雄一郎と付き合っている奇特な性格をしている。そのせいか、普段会うことのない登校中の出来事でも、雄一郎が犬と戦うという朝の日課についてはよく知っているのである。

葵の体つきは全体的に細く、表情も温和で、男らしさを感じさせない印象が強いのがこの葵という少年の特徴であった。事実、気の強い女子などには尻に敷かれる事などもある。

「あー、こんなにゆっくりしてて大丈夫?間に合わないんじゃない?」
「俺はいつもこのペースだ。余裕。」
「って、雄ちゃんはいつも遅刻ギリギリじゃない。」
「アウトじゃねえんだ。問題ねーよ。」
「ええー。そんなテキトーな…。」
「つーか、お前が歩くの遅いんだよ。そんなんじゃ遅刻するぞ。」
「なんかそのセリフを言われるのは違うような気がするんだけど…。」

葵が雄一郎と同じ時間帯に登校するのはまれである。本来であれば、葵は既に学校でゆっくりしているのだ。いつもトップクラスの早さで学校に着いている葵からすれば、雄一郎の登校スタイルなど考えられないのである。

「そう言えば、知ってる?」
「知らねえ。」
「まだ何にも言ってないでしょう。少しは乗ってきてよー。」

つっけんどんな雄一郎に、葵は少しふてくされる。

「お前がそんな聞き方するからだ。」
「もう、僕が聞きたいのは転校生の話だよ。」
「転校生?なんだそりゃ?」
「学校の生徒が引っ越したりして別の学校に通学すること。わかった?」
「バカにしてんのかてめえ。」
「さっきのお返しだよう。わざわざ睨まないでよー。」

顔をしかめる雄一郎。困ったような顔をする葵。

「それがどうしたってんだ?」
「やっぱり聞いてないんだ?」
「知るか。先生もそんなことは言ってなかったぞ。」
「うん。だって継美ちゃんから聞いたんだもん。」
「はあ?あいつの話か?」

継美という名前を聞いた途端、雄一郎は呆れた表情に変わる。継美というのは、雄一郎達と同じ学校に通っている同級生である。雄一郎達とも話をする間柄ではあるが、彼女の方が一方的に話しかけることのほうが多い。

「あいつの話なんて真に受けてられるか。んなもん信じてんじゃねーよ。」
「えー、だってー。」
「だってもあさってもねえ。大体、転校生が来るなら先生が言ってくるだろうし、そうでなくたって大したことじゃねーだろーがよ。」
「でも、来るとしたら楽しみじゃん。」
「何が?」
「どんなコなのかなあ?ってさ。」
「女限定かよ。男だったらどうするんだよ。」
「継美ちゃんは女の子って言ってたよ。楽しみだなあ。」
「あいつの言うこと真に受けて、男だったらアホだな。」
「でも、想像するだけでもわくわくするじゃない。」
「ゲームじゃねえんだ。そういう妄想は捨てるんだな。」
「ちぇ、雄ちゃんは夢がないなあー。」
「なんとでも言え。」

そんなやり取りをしているうちに二人は校門を通り抜ける。昇降口の下駄箱で上履きに履き替え近くの時計を確認する。七時四十五分。遅刻寸前である。周りには誰もいなかった。

「うー、こんなギリギリで来たのなんて初めてだよ…。」
「もたもたしてるとほんとに遅刻するぞ。」
「あ、雄ちゃん待ってよー。」

雄一郎はサクサクと入っていく。葵も慌ててそれに続く。廊下を進んですぐの所にある階段を上り、そのまま最上階の三階へ。左手に見える美術室を背に廊下を進む。

「じゃあね雄ちゃん。また後でね。」
葵はそう言って、「3年A組」と書かれた札のある教室に入っていく。雄一郎はさらに進み、「3年B組」と書かれた札のある教室に入っていく。


―ガラガラ。
引き戸を開けて教室に入る。教室は生徒達で埋め尽くされているが、先生の姿はない。遅刻は免れている。
雄一郎はそのまま自分の席に向かう。普通だったら注目の的となる行為であるが、それが日常化してしまっているこのクラスでは誰も気にするものはいない。

雄一郎の席は窓際の最後尾である。三年生になってからは、比較的自由に席を決められたので雄一郎はこの席を死守するようになっていた。

もちろん、授業で注目されないためである。周りの生徒達は、好きなもの同士が近ければそれでよかったので、むしろ真ん中を好んでいた。雄一郎とその周りには暗黙の利害関係が成り立っていた。

それも、この学校が田舎ということもあり、生徒の数も少なく、一クラスの人数が二十数人しかおらず、イザコザが少なかったからこそできたことなのであった。

雄一郎は鞄を机に置いて開き、中身を机の中に突っ込む。空になった鞄は、教室の後ろに備えてあるロッカーに入れる。朝の準備が済んだ雄一郎は机に戻るなり眠りの体勢に入る。来年の高校受験など微塵も考えてはいなかった。


「ういーっす。」

気合の入ってない声と共に、気合の入ってなさそうな若い男性が教室に入ってくる。このクラスの担任である佐藤敦であった。

「きりーつ。」

学級委員の声と共に朝の挨拶が始まる。雄一郎のいつもの一日が始まっていくのであった…。


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