藤崎流古武術伝




転校生水琴

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「はい先生。終わったよ。」

職員室。雄一郎は居残りとして課せられた昨日の宿題を終わらせ、そのノートを森藤に見せた。森藤はそれを受け取りノートを開くと、内容を大まかに確認してペンでしるしを付けた。

「はい、OKね。」

森藤はノートを閉じ、それを雄一郎に返す。受け取った雄一郎はそれを床に置いていた鞄の中に入れる。

「全く、毎日やってきなさいっていつも言ってるのにあなたは…。」
「そうは言っても、コロッと忘れちまうんだからしょうがねえだろ…。」
「あなたも少しはあの転校生を見習いなさい。」
「俺をあんな優等生と一緒にしないでくれよ。」
「あの子は、偉いのよ。わからないところがあるって言って、わざわざ放課後に聞きに来るんだから。」
「へえ、何が面白くて居残りなんかするんだか…。」
「彼女は真面目だから来てるのよ。あなたも見習ってわからないところを聞きに来ればいいのよ。」
「遠慮しときます。」

そう言って、雄一郎は鞄を持ってそそくさと森藤から離れる。別れの挨拶もまともにせずに職員室を出ていった。


「あのヅラババア…。いつかあの偽物の髪をひっぺがしてやる。」

職員室前の廊下を歩きながら雄一郎はつぶやく。そんな憎まれ口を叩きながらも、家に帰る事を優先に考えて玄関へと歩いていく。


靴を履き替え、外に出る。校庭から響いていたはずの掛け声も聞こえなくなり、生徒達は片付けに入り始めている。

随分と時間が経ってしまった事を再認識した雄一郎は、そんな生徒達を尻目に学校を後にした。


日が沈む前に帰りたいと考えていた雄一郎は、自然と歩く速度が上がっていた。田畑に挟まれた舗装道路を、一心不乱に歩き続ける。

この時間帯、いつもなら人っ子一人いない田舎道。遥か前方に、何やら追いかけっこをしている二人の人影を雄一郎は確認する。

雄一郎があちらに歩き、向こうの人影がこちらへと走ってくる。いくらも経たないうちに雄一郎は人影の正体に気づく。


「あれは…転校生か?」

制服を着た少女がこちらに向かって走ってくる。雄一郎にはその顔に見覚えがある。本日転校してきた新しいクラスメイトの水琴であった。

「なんであいつは追いかけっこなんてやってるんだ?」

雄一郎は、水琴の後ろを走ってくる人影を確認する。下着の上にコートを着込んだだけの清潔感のない若い男。明らかに水琴と親しい関係にある人物とは思えなかった。

その証拠に水琴の表情は怯えており、その追いかけっこの様も、とても穏やかな雰囲気ではなかった。

「あっ、キミは…!」

お互いの距離が十メートルを切ったあたりで水琴は雄一郎の顔を思い出す。隣の席にいながら、あまり存在感の感じられなかったその顔にも、今度ばかりは水琴も希望を覚えた。


「へへへー、待ってよー。」

追いかけてくる男の声が聞こえる。その様子からして、その男が変質者である事は雄一郎にも十分理解できた。

水琴が雄一郎のところまでやってくる。水琴はすかさず雄一郎の背後に回り、その陰に隠れる。

「なにやってんだお前?」
「あの変な人が襲い掛かってきて…。お願い!なんとかして!」
「なんとかって言ったってな…。」

若干の涙を浮かべながら水琴がすがりつく。やがて変質者が追いついてくる。雄一郎を確認すると、変質者は少し距離を置いたところで立ち止まる。

「待てえー。ってあれ?」
「なるほど、こいつは確かに変質者だな…。」

雄一郎は変質者のその風貌を見てすぐさま嫌悪感を覚える。変質者が水琴を見るその目つきは、常人のそれを遥かに逸脱していた。

「なんだあお前?そのコとはボクが先に遊ぶ約束したんだぞぉ。」
「お前が、最近噂になってる変質者だな。俺らくらいの年頃の女をさらって好き放題やってるっていう…。」
「え?何それ?噂って。」

水琴の方が雄一郎の話に反応する。初めて聞く話を当たり前のように言われてしまい、事態が飲み込めずにいた。

「なんだ、知らなかったのか?最近、別の学校の生徒がある日突然行方不明になってるって事件が出てきたんだよ。」
「でも私、この辺の事よく知らないし…。」
「ああ、転校生だったもんな。で、その行方不明になった原因が変質者の誘拐じゃないかって噂になってるんだよ。まあ、噂だから学校でもあんまし注意してなかったけどな。」
「そんな。じゃあ私が一人で帰ったのって…。」
「こんな時間に一人で帰るなんて、捕まえてくださいって言ってるようなもんだろ。って言うか、あんだけ周りの連中と話してて聞かされなかったのかよ…。」
「おいおいおい!ボクを無視するなぁ!」

変質者が鼻息を荒くして怒鳴る。その形相でさえ、見ているものの気分を毒すほどであった。

水琴はその顔を見ないようにと、自分の顔を雄一郎の背中に隠す。

「ボクが先に見つけたんだぞぉ!勝手に楽しくおしゃべりなんかしてるんじゃない!」
「うるせーな変態。今度はウチの学校の転校生をさらうつもりか。」
「変な事言うな!ボクはただ、そのコとおうちで遊ぼうと思っただけだ!」
「変態が言うとなんでも犯罪臭く聞こえるな。ああ、もう犯罪者だったな。」
「くうぅ!それ以上邪魔するなら、力づくでもどかしてやるぅ!」

そう言って変質者が歩み寄ってくる。雄一郎は背負っていた鞄を投げ捨てる。水琴はどうしていいかわからず、その場で怯えているだけだった。

「巻き沿いが嫌だったら少し離れてろ。あいつに触るの嫌だろ。」
「…うん、わかった。」

そう言って水琴は後退り、雄一郎から離れる。
それを見た変質者は、雄一郎に襲い掛かる。

「ボクの邪魔をするなあぁっ!」
「はぁ、テメエみたいなヤツは見てるだけでムカつくな・・・。」



「―ぶちのめす理由は、それで十分だろ。」



―ドスッ!
突き出した変質者の両腕を掻い潜り、雄一郎は変質者の腹部に右拳を叩き込む。拳が腹の贅肉にめり込むが、変質者がよろける気配はない。

「ちっ、肉で衝撃吸収か?」

変質者は両手を組み、それを振りかぶる。一気にそれを振り下ろし、雄一郎の背中に叩き込む。

仰け反った雄一郎の両肩を掴み、前方に突き飛ばす。雄一郎は倒れそうになるところを、なんとかバランスを保って体勢を整える。
お互いの距離が離れたところで、両者は一呼吸置く。

「そんなパンチなんかにボクは負けないぞぉ!」
「全く、肉の厚みなんて今まで考えた事もなかったな…。」

雄一郎にとって、今までの喧嘩相手は犬だった。男子生徒とも相手をした事はあったが、大抵雄一郎の一撃で決まってしまっていた。自分より大きな相手で、しかもその体が衝撃を受け付けないというのは、雄一郎にとって初めての経験だった。


「…大丈夫?痛くない?」
「平気だ。こんなヤツどうってことねえ。」

腹がダメなら他のトコだ…。
雄一郎は近づいてくる変質者を見据え、次の狙いを定める。

「お前ばっかり楽しくおしゃべりしてるんじゃなぁい!」

変質者が再び襲い掛かる。今度は右ストレートを雄一郎の顔面めがけて放ってくる。雄一郎は右足を後ろに引き、それを左によける。そこからすかさず右フックを変質者の顔面に叩き込み、さらに左フックを右頬に打ち込む。

「うぅ…。」

変質者はおぼつかない足取りで後退する。右手で顔面を覆いながらその場でよろけている。

雄一郎は、その隙を逃さなかった。助走をつけて跳び上がり、そのまま右足で変質者の顔面を蹴り飛ばす。

―ダァーン!

変質者は大きく仰け反り、その場に勢いよく倒れこむ。雄一郎は確かな手ごたえを感じていた。

「これでどうだ…贅肉野郎。」

雄一郎はこれで終わったと思い、投げ捨てた鞄を取りに水琴の方へと歩いていく。しかし、水琴の表情はその考えを否定するものだった。

「後ろ!危ない!」
「何?…!」

―ドンッ!

変質者は倒れていなかった。その体格から繰り出す体当たりで、雄一郎を大きく弾き飛ばす。

完全に虚を突かれた雄一郎は、体勢を整えるまもなく突き飛ばされ、地面をゴロゴロと転がってしまう。予想以上の衝撃に、雄一郎はうまく起き上がれずにいた。

「大丈夫!?」

水琴が雄一郎の所に駆け寄る。怒りのせいか痛みのせいか、雄一郎はその場にうなだれたまま立ち上がろうとしない。

「ふん!ボクを甘く見るからそうなるんだ!子供のくせに、大人のボクに勝とうなんて思うのがいけないのさ!」

変質者は意気揚々と雄一郎に罵声を浴びせる。自分より立場の弱い者を虐げる事にこの上ない愉悦を感じながら声を発するその様子は、大人としての威厳を微塵も感じさせないものだった。

「ひどい…。私らなんにも悪い事してないのに。どうしてこんな…。」
「さあ、ボクと一緒に行こうか。もうすぐ日が暮れるから一緒にご飯を食べようねぇ。」

変質者が近づいてくる。水琴は行動する気力を失っていた。この状況を嘆く事しかできなかった。そんな水琴の表情でさえ、変質者を楽しませる結果にしかならなかった。


「…おい、うすらデブ。」


雄一郎が立ち上がる。近寄る変質者を一瞥する。その視線は、近付こうとしていた変質者の足をピタリと止めてしまうほどの鋭いものであった。

「な、なんだよ。まだやる気かよ!」

雄一郎のただならぬ雰囲気に気圧され、変質者は虚勢を張る。

「いや、もういい…。」
「…ん?」
「もう遊ぶのはやめだ。」

雄一郎の言葉の意味が理解できない変質者。馬鹿にしたような表情で雄一郎の行動をあざ笑う。

「ははは。なにが遊びだ。お前のパンチなんかじゃボクはやられたりしないんだよ!ちょっとは痛いけど、あれくらいなら何発くらったって平気なんだよ!」
「その贅肉だからな。ま、今からはどうでもいいことだ。」
「フン!お前の力じゃどうやってもボクは倒せないんだよ!」

変質者はそう言って雄一郎に襲い掛かってくる。水琴は慌ててその場から離れる。

「…力…か。」

体の中が熱くなっている。そう、先程体当たりで飛ばされた時から。変質者の罵声を聞いた時から。雄一郎はその感触を確かめる。周りの人間には存在しない、不思議な力を使うその感触を…。

空気が変わる。雄一郎を中心にして、空気の流れが変わる。それはこれから行われる雄一郎の攻撃を盛り上げているかのように…。

「久々にこいつを使う。残念だな。相手が俺じゃなけれりゃあな…。」


変質者は突然つまづいてしまう。いつの間にか雄一郎がその脇に立っていた。雄一郎が出した左足に、変質者は左足を引っ掛けてしまっていたのだ。

体が前のめりになる。変質者は雄一郎を睨みつけようとするが、もはやそこに雄一郎はいなかった。

雄一郎は変質者の頭上三メートル程の高さまで跳躍していた。倒れる最中の変質者には、それを確認する術はない。


「受け取れ。これが俺の力だ。」


―ズドオオォン!
通常では考えられない速度で雄一郎は落下する。その勢いで倒れつつある変質者の頭を両足で踏みつける。雄一郎の落下音と変質者の激突音が同時に鳴り響く。

時間にして、数秒間の出来事だった。雄一郎は一瞬にして変質者の足を引っ掛け、そこから三メートルもの高さまで跳び上がり、本来の速度以上のスピードで落下した。先程までの雄一郎の動きと比べると、まさに別人としか言いようがなかった。


変質者は頭を舗装路面にぴったりとくっ付けたまま、ピタリと動きを止めてしまう。指先ひとつ動かす事はなかった。

「贅肉のない頭だ。テメエ自身と俺の全体重の衝撃を叩き込めば、さすがにただじゃ済まねえだろ。…終わりだ。」

変質者にその声は届いていたかった。雄一郎はその場を離れ、再び鞄を取りに行く。


「ホントに…もう大丈夫?」

呆然としていた水琴がたずねてくる。いつの間にか、その場に座り込んでいた。

「ハンマーで頭を殴るなんて生易しいもんじゃねえんだ。これで起き上がったらバケモンだ。」
「はあぁ…。」

雄一郎の言葉を聞いて水琴は大きく息を吐く。全身の力が一気に抜けていくのが見てわかる。安堵のため息であった。

「まったく、お前もこんなヤツに捕まるなんて、運のないヤツだな。」
「うう…。転校初日から災難だったようぅ…。」
「そんなお前の災難に巻き込まれた俺も運のいい方じゃねえけどな…。」

二人がそんな話をしていると、後方から一台の車がやってくる。

「おい、車が来たぞ。」
「え、うん。あ、あの車…。」

二人は道路端に移動する。水琴はその車に見覚えがあった。職員室前の廊下から見かけた、荷積みをしていたRV車であった。

その車は、雄一郎達の前まで来たところで止まる。運転席の窓を開けて覗かせた顔は、雄一郎も知っている顔であった。

「…冴木先生。」
「どうしたんだい?こんなところで。」

冴木先生と呼ばれたその若い男は、雄一郎の汚れた制服と前方で倒れている変質者を見比べる。

「これが最近噂になってた変質者みたいなんだ。」
「へえ、確かに危ない格好してるしなぁ。だけど、なんで倒れてるんだ?」
「俺がぶちのめした。」
「ははは、キミも思い切った事するなあ。」

そう言って冴木は車のドアを開けて降りてくる。変質者の方に歩み寄り、状態を確認する。

「どうやら気を失ってるみたいだね。このまま放っても置けないから、僕が連れていくよ。車に乗せるからちょっと手伝ってくれ。」

そう言って雄一郎を呼ぶ。雄一郎は車の中を覗いている水琴を尻目に冴木の元へ歩み寄る。冴木が変質者の両手を持ち、やってきた雄一郎は両足を掴む。半ば引きずりながら車のまで移動させ、後部座席に寝かせる。

「よし、これでいいだろう。」
「変なにおいだなこの車。」
「ああ、変な芳香剤使っちゃったからね。」
「ふーん。」

そんなやり取りをしながら、冴木はそのドアを閉める。雄一郎が再び鞄を手に取ると、冴木は運転席に戻っていた。まじまじと中を覗いていた水琴も、これから発進するであろう車から離れる。

「僕はもうこれで行くけど、二人とも早く帰るんだぞ。」
「はい先生、さようなら。」
「きっちりそいつを連行しといてくれよ。」

別れの挨拶を告げると、冴木は車を走らせる。その場に残された雄一郎と水琴は、ゆっくりと帰り道を歩き始めた。

「これでやっと安心できるうぅー。」
「なんだお前、まだ安心してなかったのか。心配性め。」
「だってぇ、怖かったんだよぉ。なんか気持ち悪いし。」
「まあそれは否定しねえけどな…。」

変質者の姿が完全に見えなくなり、やっとの事で表情が明るくなってくる水琴。次第にいつもの調子に戻りつつあった。

「でも、さっきはすごかったねえ。」
「何が?」
「キミの動き。」
「!」

そう、雄一郎の尋常ならざる動きの全てを水琴はしっかりと見ていたのだった。雄一郎が長い間見せる事のなかったその力の片鱗を、この転校生はしっかりと見ていたのだ。

「見てたのか?」
「うん、ものすごい速さで足をかけたり、うんと高く跳んだりしてたよね。あんなすごい事、私なんか真似なんかできないよー。」

楽しそうに水琴は答える。奇怪な者を相手にするような反応しか経験していなかった雄一郎にとっては、初めてのことだった。

「みんなには言うなよ。」
「えっ?どうして?」
「どうしてもだ。」
「そんなぁ、カッコいいのに…。」
「別にカッコよくなくてもいいんだ。話題になるのが嫌なんだよ。」
「うーん、そういうならしょうがないけど…。」

水琴は煮え切らない様子だった。面白いものを見つけた子供が、お預けをくらってふてくされているようだった。

「せめてもの救いはこいつが転校生で隣の席だって事か…。転校生だから話しかけられることの方が多いし、近くにいれば監視する事も…。」
「あー!」

いきなり水琴が大声を上げる。雄一郎が水琴の方を見ると、なにやら非難するような目つきに変わっている。

「さっきからなんかおかしいと思ったら、キミ、私の名前呼ぶの避けてるでしょう?だって、お前とかこいつとかってしか言ってないしー。」
「知るかそんな事。第一、お前だって俺の名前言った事ねえだろーが。」
「だって、一度も名前教えてもらった事ないもん。」
「は?」
「だから、キミの本名を私は聞いた事がないの。一度も。」
「そうだったのか?」
「そうなの。だから、名前教えてよう。席も隣なんだしさぁ。」

雄一郎は唖然としていた。あれだけ周りの生徒達と会話をして、昼休みには話の輪に混ざってきたというのに、雄一郎の名前は一言も出される事がなかったのだ。

雄一郎は、改めて自分の存在感のなさを痛感していた。

「藤崎雄一郎。俺の名前だ。」
「わーい、じゃあ雄一郎君だね。よろしくね。」
「よし、これでいいだろ。」
「ぶー。」

水琴は、どうやらまだ満足していないらしい。

「なんだよ。もういいだろ。」
「私の名前。」
「しょうがねえなあ、わあったよ。で、なんて苗字だっけ?」
「水琴。」
「はぁ?」
「水琴。」
「いや、確かそれは名前の方だったはずだ。苗字は?」
「ミ・コ・ト。」
「だから…。」
「だって、苗字教えたらそっちで呼ぶんでしょ?嫌だよ、そんなんじゃあ面白くないし。」
「いや、面白いとかそういう問題じゃないなくてだな…。」
「それに、なんで覚えてないの?朝、大きな声で私言ったんだよ?ひどいよねえ。私はちゃんと言ったのに…。」
「そんなこと言ってもなあお前…。」
「また言ったあ。」
「ぬ…。」

水琴の機嫌は一向に良くならない。ことごとく雄一郎の揚げ足を取ってくる。

「そんなに呼ぶのが嫌なら、さっきの事みんなにばらしちゃうから…。」
「卑怯だぞテメエ!つーか、助けてもらったくせに…。」
「だから水琴。」
「う…。」
「ねえーいいでしょー別にー。」
「あのなあ…。」
「ミ・コ・ト。ミ・コ・ト。ミ・コ・ト。ミ・コ・ト。ミ・コ・ト。ミ・コ・ト。ミ・コ・ト!」

延々とすがってくる水琴に、雄一郎はついに根負けした。

「わかったよ!水琴って呼べばいいんだろ!」
「やったー!」

水琴は両手を上げて騒ぎ立てる。雄一郎はもはやどうにでもなれといった気持ちになっていた。

「まったく、なんで俺がこんな目に…。」
「YATTA!YATTA!YATTA!YATTA…。」
「なんか変な言語発してるし…。」


大通りを少し進んだところで再び田舎道に差し掛かる。雄一郎のいつもの帰り道から少しそれた所に水琴の家はあった。

低めの塀に囲まれたその敷地には、右から左に広がる庭と、見上げるほどの小高い一軒家。この田舎にはとても似合わない豪邸だった。

「これが、お前の家なのか?」
「うん、引っ越してくるからって新しく建てたんだって。」
「もしかして…金持ち?」
「やだなぁ、そんなんじゃないよー。多分。」

こういうヤツに限っていい暮らしをしているに違いない…。
雄一郎のは心の中でそうつぶやいた。

「あ、水琴。帰ってきたのかい?」

塀の入り口にあるインターホンが響いてくる。雄一郎が昨日聞いた、落ち着きのある男性の声だった。

「あ、お父さん。無事帰ってきたよー。」
「そうか、それならいいんだ。」

もはや自分がここにいる理由がないと考えた雄一郎は、再び歩き出す。

「あ、もう行っちゃうの?」
「日が暮れるからな。お前ももう入ったほうがいいぞ。」
「うん、じゃあね。明日もいっぱいおしゃべりしようねー。」
「それじゃあな。」

そうして、水琴は自宅の敷地内に入っていった。雄一郎はそこから自宅を目指す。水琴の家は、雄一郎にとっては帰り道の途中であった。


十凪水琴。それは、雄一郎のこれまでの生活を大きく狂わせる存在となっていた。しかしそれは雄一郎にとって、決して居心地の悪いものではなかった。



夕焼けが闇に染まっていく。一日の終わりを告げるように。
これから始まる転校生との学校生活をぼんやりと考えながら、雄一郎は帰路に就くのであった…。



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