藤崎流古武術伝




転校生水琴

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―ガスッ!
―キャウンッ!

いつもどおりの朝、朝日のまぶしい朝。いつものように雄一郎に弾き飛ばされた犬はそそくさと逃げていった。

「こうして丸二年以上相手してると、いい加減コツってモンがわかってくるようだな…。」

犬を弾き飛ばした右手を握り締めながらしみじみとつぶやく。
本気になって犬と喧嘩していた二年前とは変わり、今ではほとんど力を使わずに一撃で決着がついている。日頃から積み重ねた小さな実戦経験を、雄一郎は今頃になって確認していた。


そんなことを考えているうちに学校に到着する。正門を通り抜け、正面玄関で靴を履き替え、教室を目指す。

―ガラガラ。
三年B組の教室はいつも通りの騒がしさだった。先生はまだ来ていない。
雄一郎は自分の席で荷物を鞄から取り出して机の中に入れ、鞄をロッカーに突っ込む。

ひと通りの準備を済ませた雄一郎は、先生が来るまでのわずかな時間を、机に突っ伏すことで費やす。途中、隣の席など存在しないのにやたらガタガタと音がしても気にすることはなかった。


―キーンコーンカーンコーン。ガラガラ。
チャイムと同時に担任の敦が入ってくる。学級委員である夏奈子の声で生徒全員が立ち上がる。雄一郎もこの時に始めて顔を上げ、立ち上がるのである。

「…礼。」
「おはようございまーす。」

クラス全員の声が響く。お決まりの挨拶を済ませ、生徒達は着席する。
適当に静かになったところを見計らって、敦が口を開く。

「えー、もうみんなわかってるかと思うけど、転校生がうちに来ました。」
「イェーイ!」

内容も詳しく聞いてないうちにクラスが騒がしくなる。それを敦は静める。
雄一郎は昨日目を合わせた少女のことを思い出す。

「うるせーぞ、ほれ。で、その転校生が今日からみんなと一緒に授業を受けることになりました。」
「?」

ここで雄一郎は不思議に思う。昨日の今日で聞いたので急な話だと思ったのだ。

「それじゃあ、戸を開けて入ってきてくださーい。」


―ガラガラ。
その音が響いたその瞬間、クラス中が一気に静まり返る。そして、その少女は教室に入ってくる。少々はにかみながら歩き、敦のいる教卓の脇で立ち止まり、持っていた鞄を床に置いて、生徒達の方に向き直る。

「今日から新しいクラスメイトになる十凪水琴さんだ。それじゃあ一言挨拶どーぞ。」

そう言って、敦は黒板に「十凪水琴」と名前を書き出す。

「はじめまして。十凪水琴です。学校もそうですが、こちらの地方もわからないことだらけです。みなさんと仲良くしていきたいと思いますのでよろしくお願いしまーす。」

そう言って、水琴はペコリと頭を下げる。

「イェーイ!」

―パチパチパチパチパチパチパチ!
先程とは比べ物にならないほどの歓声と喝采。特に男子の声が大きかった。


愛嬌のある眼差し、飾り気を感じさせない都会的な清潔さ、媚というものを感じさせない立ち振る舞い、和やかに透き通る声。
「可愛らしい」という言葉が似合うその顔立ちを、転校生という新鮮さがより一層引き立てていた。

田舎の数少ない女性しか目に入ることのない男子生徒にとって、これほど新鮮な魅力はなかった。

「ほら野郎共静まれ。彼女の紹介ができんだろーが。」

そう言って、敦が騒ぎ立てる生徒達に注意を促す。ひとしきり静まったところで敦は説明を始めた。

「この十凪水琴さんはな、関東の方にある聖晶学園という一流学校から転校してきたんだ。お父さんの仕事関係で来たそうだ。そんなワケで遠くからはるばる来たんだから、みんな仲良くしてやれよー。」
「はーい!」

返事も、やはり男子の声が強かった。
そんな中、雄一郎は違っていた。少女の見た目など気にかけている余裕がなくなっていた。そう、昨日感じたあの不思議な眼差しが微塵も感じられないことに気を取られていたのだ。

「とりあえずの紹介はこんなもんか。そんじゃ、ひとまず席に着いてもらうかな。」
「はーい。」

水琴にそんな事を言った敦は、何故か雄一郎の方を指差す。どういうつもりなのかさっぱり理解できずにいたが、敦の指が雄一郎ではなくその隣を指していることに気づいて納得する。

だがしかし、雄一郎はさらにわからなくなる。自分の隣に席などない。そう思って、自分の右側に視線をずらす。

…。

…。

…。

…机と椅子がある。朝来た時はなかったはずなのに。

そう思って、雄一郎は朝のことを考える。いつも通りに朝の用意をする。
時間を潰す為に机に突っ伏して眠りの体勢に入る。
時間がたって先生がやってくる。
そう言えば、先生が来る前に隣で変な音がしたような…。

あれは机と椅子を持ってきた音だったのかと雄一郎は理解する。
それと同時に、そこに席ができた事の意味を悟る。


敦に指示された水琴がこちらに向かって歩いてきていた。

「な、なんだってー!」

雄一郎は思わず叫んでしまった。

「なんだ雄ちゃん、M○Rみたいなセリフ叫んで。そんなに十凪さんの席が嬉しいのか?」
「な、違うっつーの。」
「うわ、雄ちゃんかわいー。」
「いやあ、若いねえ。」
「ヒューヒュー。」
「そうだったのかキ○ヤシ!」

ところどころから冷やかしの声が聞こえる。水琴の方は、面白そうな顔をして歩いてくる。

「よろしくね。」
「あ、ああ…。」

鞄を机に置き、にっこりと笑って一礼する。雄一郎が相槌程度にうなずくと水琴は椅子に腰掛ける。


違う。雄一郎は考えていた。水琴を見た時の、昨日と今日のギャップを。
全てを飲み込むようなあの眼差しは、今日の水琴からは微塵も感じられない。それどころか、見る者を和ませる雰囲気さえ感じさせるほどであるのだ。

そう、昨日感じた時さえも凍りつかせるようなあの眼差しでさえ、消しゴムで消し去るかのように忘れさせてくれる眼差しを…。


「んじゃあ、連絡事項はこれくらいだな。もうすぐ授業だから、俺はもう行くか。そんじゃカナちゃん。」
「きりーつ。礼。ちゃくせーき。」

敦に言われて、夏奈子が号令をかける。夏奈子を「カナちゃん」と呼ぶのは、他の生徒の間でもまかり通っていることだった。


敦がいなくなってからの教室は騒がしかった。どこもかしこも水琴の話題で持ちきりだった。遠い席の者は水琴の容姿に話題を膨らませ、近くの席のものはしきりに水琴に話しかける。

隣の席の雄一郎は、特に見向きもしなかった。昨日の出来事が頭から離れつつある雄一郎にとって、「転校生」としての水琴には興味がなかったのだ。そうなると、退屈以外の何者でもない雄一郎は眠る以外の選択肢がなかった。

「ねえねえ、関東ってどこから来たの?」
「都会の方って頭いいんでしょ?」
「こっちの家はどこにあるの?」
「兄弟とかいるの?」
「彼氏とかって、いた?」

主に質問するのは女子であった。水琴とのやりとりは嫌でも雄一郎に聞こえてくる。それでも、興味を失ったものの話題などもはや頭に入ってはいなかった。

―キーンコーンカーンコーン。
雄一郎がまどろみの中に入っていく頃、授業開始のチャイムが鳴り響くのであった…。


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