藤崎流古武術伝
薬物猟奇
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| 冴木は笑っていた。何がおかしいのかわからない。何が楽しいのかわからない。声を出さずに、水琴に視線を向けたまま笑みを浮かべる。 普段の授業で見かけるさわやかな雰囲気はそこにはない。もはや尋常ではないと感じる気配。狂気そのものであった。 「さっきまで必死に言い訳してたのが馬鹿みたいじゃないか。見ているならはっきりと言ってくれればよかったのに。」 そう言って冴木は前に一歩踏み出す。その言動に、水琴は思わず一歩後ろに引いてしまう。 「あ、あの時の女の子は一体どうしたんですか…?」 「さっきも言っただろう?作品の素体だって。誰にも見つからない場所にちゃんと展示してあるさ。」 「さ、作品って、人を人形みたいに…。」 冴木のねっとりとした言葉遣いに、水琴は息を詰まらせる。冴木の言葉は続く。 「人形?それはいい。人の形を模したものが人形であるなら、本物の人間が人形となってもいいじゃないか。そう、本物に勝る人形などないのだからねぇ。」 「そんな…。それじゃあ、あの女の子は先生の趣味に付き合わされて死んだって事じゃないですか。」 「何を言ってるんだ。僕の芸術作品の素体に選ばれたんだよ?彼女も本望だったろう。」 「そんなの自分勝手ですよ…。だって、彼女の家族や友達はどうするんですか?みんな心配してるじゃないですか。それを、あんな風にしちゃうなんて…絶対おかしいですよ!」 「それがどうした?」 水琴の言葉をあっさりと否定する冴木。その顔に憂いはない。 「自分勝手?心配してる?結構じゃないか。誰だって自分のエゴは主張するだろう?心配なんて結局はそいつの勝手な都合だろう?今さら君に言われるような事じゃないさ。大体、僕の事をおかしいと言うのも、君の勝手な判断じゃないのかい?」 「それは…。」 「君はまだ子供だ。大人になれば様々な経験をするだろう。そうして、この世の中が汚い連中で満たされてる事に気付く。やがて、僕のやっている事が君にも理解できるようになるのさ。」 そう言って、冴木は再び前に踏み出す。水琴はその一歩とともに体を強張らせながら後退する。 「それでも、先生がやってるのは犯罪です…。」 「犯罪ぃ?だったらどうするって言うんだい?」 「それは、その、警察に連絡して…。」 「どうやって?」 「ここから出て…電話して…。」 「なんて言うつもりだい?女の子の死体をいじってる人がいるとでも言うのかい?子供が言うそんな事を真に受ける警察がいるかな?」 「でも、このまま放っておくわけには…。」 「もちろん、僕が放っておくわけがないんだけどね。」 冴木はそう言いながら右手をコートのポケットに入れる。身の危険を感じた水琴は背後の窓ガラスまで後退り、背中をつける。 「今ここで君が何を言おうと、外に出られなければ意味のない事だ。今ここは僕のアトリエだ。僕が主導権を握っている今、ルールは全て僕にあるんだ。」 「……!」 「さらに言うなら、君は僕から主導権を奪う術がない。大人の僕から逃げる事もできない。君は喋る事しかできていないんだ。」 壁際まで追い詰められた水琴との距離を、冴木は一気に詰め、右ポケットから何かを取り出した。 「つまり君も、あの死体と一緒って事さ!」 ――シューッ! 「キャッ!」 冴木の右手から白い気体が吹き出す。その気体を顔面に受けた水琴は思わず目を瞑る。 「目が…痛いっ…。」 「催涙スプレーだよ。護身用グッズで店に売ってるヤツさ。」 水琴は完全に視界が閉ざされる。手で目をこすってみるが、痛みは一向に引かない。 「…うむっ!」 突然、水琴の口と鼻が布で押さえつけられる。布には薬品らしきものが染み込んでいるようだった。唐突に押さえつけられた水琴は思わずそれを吸い込んでしまう。頭を左右に振って逃れようとするが、そうする間もなくがっくりとうなだれて意識を失っていった…。 冴木は水琴の顔面から手に持った布を離す。支えを失った水琴はそのまま床に突っ伏してしまう。 「一流学校の優等生も所詮は子供だな。せっかくだ、僕の作品に加えようじゃないか…。」 寝息を立てて倒れている水琴を見下ろしながら、冴木は一人ほくそえむのであった…。 「水琴のヤツ、どこに行ったんだ?」 呆れ気味の表情で雄一郎は階段を下りてくる。一階に辿り着き、左右に広がる廊下を見渡す。 ひとまず、一部屋しかない左側へと進む。正面には体育館への渡り廊下を遮る鉄の引き戸が、左手には引き戸が全開にされた理科室がある。 「ここは開いてたか?まあ入ってみるか…。」 雄一郎はそのまま理科室に入る。月明かりに照らされた薄暗がりの部屋には、備え付けの机がある以外、人影も物体も見当たらない。 一応の確認をするため、雄一郎はさらに奥まで入っていく。 廊下側の壁にある、実験器具を陳列した棚、黒板付近にある人体模型、横に長い教卓の周辺など、部屋の中を一通り見て歩くが、特に変わった点は見られない。 「なんもねえ。開いてるだけだったか…。」 少々の落胆の色を見せたが、雄一郎は見切りをつけて部屋を出る。 職員室や正面玄関に伸びる廊下を進みながら雄一郎は考える。 「あいつ、もしかして一人で先に帰ったんじゃねえだろうな?」 そう考え出した雄一郎は、途中にある家庭科室や職員室をそのまま通り過ぎて真っ直ぐ正面玄関に向かう。保健室と階段の間を通り過ぎ、突き当りの左手にある下駄箱に辿り着く。 そして、水琴の下駄箱を覗いてみた。水琴の下足がそこには入っており、上履きは見当たらない。 「まだいるみてえだな…。」 雄一郎は下駄箱から目を離す。ふと玄関の方に目をやると、引き戸が閉め切られている事に気付く。 「あれ?ここは開けっ放しにしといたはずだよな…?」 雄一郎は引き戸の前まで行き、再び開けようとする。しかし、予想に反して引き戸は開かない。よく見てみると、引き戸には鍵が掛けられていた。 「誰だ?鍵なんて掛けたヤツは。もう少しで帰るってのによ…。」 と、雄一郎は自分で口にした言葉に疑問を抱く。 ――まてよ、ホントに誰なんだ?水琴だったらわざわざこんなマネしねえよな。どうせ後で出るんだからな。だとすると、外から人を入れたくないヤツって事か?…って、そりゃつまりここに誰かいるってコトじゃあ…? でも、学校の中は一通り捜したはずだ。どこにも隠れる場所なんて…。いや待てよ。まだ捜してねえところがあったじゃねえか―― 雄一郎は、自分がうっかり見落としていた部分に気付き、はっとする。 最後の捜し場所を思い出した雄一郎は、そこを確かめるべく、真っ直ぐ階段に向かうのであった……。 「……う…ん…。」 まどろみの中から戻ってきた水琴。うっすらと瞼が開かれる。 月明かりが差し込むこの部屋では、電灯が必要ないほどに間取りが映し出されている。 目の前には横たわる女子生徒。生徒用の机を縦横に並べられたその上に載せられている。さらに前方には黒板が見える。その手前には、普通の教室にある教卓よりもはるかに横長の机があり、そこには大きめのアタッシュケースが開かれている。 そして、その教卓と黒板の間に冴木はいた。淡々とした表情で、教卓の上のアタッシュケースの中身をなにやらいじっているようだった。 水琴はようやく意識を取り戻し、自分が、目の前の女子生徒と同じように机の上に寝かせられていた事に気付く。そして、視界のはっきりしてきた水琴は目の前の風景を目にして驚愕の言葉を発する。 「…か…夏奈子ちゃん!…うぅ。」 水琴は慌てて起き上がろうとするが、体中に力が入らず、元の姿勢に戻ってしまう。 水琴の声を聞いた冴木はこちらに目を向ける。 「あれ?目が覚めたようだね。睡眠薬の効き目が薄かったようだね。」 「う、動けない…。」 「まだ弛緩剤は効いてるようだ。そのままじっとしているといい。」 冴木はアタッシュケースの中から、親指程度の大きさのビンを取り出す。コルクで蓋をしてある透明な液体の入ったそのビンを教卓の上に置く。 「やっぱり、夏奈子ちゃんをさらったのは先生だったんですね。」 「やっぱりと来たか。という事は、始めから僕を疑ってたんだね。」 「ええ。前々からおかしいと思ってました。あの授業の時、先生は私達が膝を上げていてスカートの中が見えてしまう事に気付いてましたよね?」 「ああそうだけど。それがどうかしたのかい?」 「あの時、先生は体育館の方から歩いてきました。私達は先生から見れば斜めに座っていました。」 「確かにそうだね。」 「という事は、私達のスカートの中なんてとっくに見えていたんです。そして、先生はずっとそこを見ていたんです。」 「また変なことを言うねえ。僕が本当に見ていたなら、君達だって気付いたんじゃないのかい?」 「でも、先生は話しかけてきました。私達が描いてる絵には全く目をやらずに、普通に話しかけてきました。夏奈子ちゃんに。」 「そんなの普通にあるだろう?君もこじつけるのが好きだねぇ。」 冴木は呆れたように言う。それでも水琴は言葉を続けた。 「でも、普通に話しかけられれば、自分に目が向けられていても気にならないものです。夏奈子ちゃんはまさにその状態でした。」 「まあ、あの時は普通に話していたからね。」 「それに、先生は私や雄一郎君と話している時も、全くと言っていいほど目が動いてませんでしたよ。これは私がしっかり見てるから間違いありません。」 「へえ、君は見てないようで結構人を見てるんだね。さすがは一流学校の出身と言ったところかな?」 「最初に見たあの車の一件から。何かおかしいところがあるんじゃないかと思って見ていました。」 水琴はそこで言葉を切る。一気に言葉を発せられるほどに水琴の体は感覚を取り戻していた。 「まあ、今となってはどうでもいい事だけどね。こうして彼女はここにあるわけだからね。」 「夏奈子ちゃんを…どうする気なんですか?」 「さっきも言っただろう?作品の素体になってもらうんだよ。」 「素体って…夏奈子ちゃんを殺すって言うんですか!」 「殺すとは人聞きの悪い。このまま大人になって汚れていく前に、清純なままの姿を保存しようとしてるんじゃないか。」 「そんな…。それじゃあ夏奈子ちゃんの気持ちはどうなるんですか!」 「彼女はまだ子供だ。僕たち大人が諭してやらなければならない時もあるんだよ。」 「そんなの…勝手過ぎます!」 水琴の叫びを無視して冴木は作業を進める。教卓に置いたビンの蓋を開け、アタッシュケースの中から注射器を取り出す。 「何をする気ですか?」 「ようやく新しい薬が完成してね。早速使ってみることにしたんだ。今までのは失敗ばかりだったからね。」 「それじゃあ、前の女の子は薬の実験台に…。」 「いや、あの時は完成したものだと思っていた。それがどうにも腐食が止められなくてね。作品としては失敗になってしまったんだよ。」 「ひどい……。」 「いちいち君の批評を聞いてるつもりはないよ。所詮芸術は人から理解されにくいものさ。」 冴木はアタッシュケースの中から注射針を取り出し、それを注射器に取り付ける。そして、その注射器の先端を教卓のビンの中に差し込み、中の液体を吸い上げる。 次第に、冴木の顔から歪んだ笑みがこぼれ始める。 「やめてください!夏奈子ちゃんを殺さないで!」 水琴は冴木の行為を止めようと。机に手をついて上体を起こそうとする。 しかし、完全に体の力が戻らず、上体を支えるだけが精一杯でそこから起き上がる事ができない。 「弛緩剤の効果も切れてきたか。でも、完全に動く事はできないだろう?大人しくそこで見ているんだね。」 「い…や…!」 机についた手を突っぱねて体を起こそうと水琴は試みる。しかし、上体を起こせるほどの力が体に入らない。 自分の非力さを嘆き、水琴は歯を食いしばる。 一方冴木は。液体を詰め込んだ注射器を片手に、教卓を回って夏奈子の元へ歩いていく。 「夏奈子ちゃん…!」 「これで、最高の芸術品が完成する。僕の今までの苦労がここで報われるんだ。……フフフ……ハハハッ!」 冴木は歓喜のあまり声を上げて笑う。その表情は、普段見る冴木のさわやかな印象を微塵も感じさせない。その狂気の様は、いつぞや見かけた変質者のそれを遥かに逸脱しているものであった……。 |