藤崎流古武術伝




薬物猟奇

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冴木は、机の上に横たわる夏奈子の前に立つ。右手に注射器を持ちながら。狂気の笑みを浮かべながら。

「これを打ち込めば、体はそのままに思考が段々と消えていく。夏奈子は文字通り人形になっていくのさ!」

水琴は机に這いつくばりながらも冴木を止めに掛かろうとする。

「やめて…夏奈子ちゃんを…殺さないで…。」

水琴が倒れていた机と夏奈子が倒れている机には一メートルほどの間隔がある。腹ばいになりながら進もうとする水琴では直接夏奈子の元までは行く事ができない。

上半身を机からのり出した水琴は、その重みで床に転げ落ちる。前転するように回り、ドサッという音と共に背中を床に叩きつけられる。

足を夏奈子の方に向けたまま水琴は仰向けになる。

「ハッ。無様だなぁ。大人しく見ていればいいものを…。」
「そんなの嫌です!このまま夏奈子ちゃんが殺されるのを見てるなんて嫌です!」
「心配しなくても、君も一緒に展示してやるよ。夏奈子ほどじゃあないが君も中々の作品になりそうだからね。」
「私が殺されるのも夏奈子ちゃんが殺されるのも嫌だけど…先生の趣味に付き合わされるのはもっと嫌です。」
「何ぃ?」

冴木は顔から笑みを消し、眉をひそめる。

「僕の芸術にケチをつける気か?生意気な。…まあいい。どのみち君は喋る事しかできないんだからな。」
「なんで…なんで動かないの…!」
「最も、動けるようになったとしても、子供に止められるほど僕はひ弱じゃない。また動けなくしてやるだけさ。」

そう言って、冴木は夏奈子の腕を左手に取る。右手の注射器の感触を確かめ、夏奈子の腕に近付けていく。

「やめて…やめて!」
「君も中々叫ぶね。いいよ。そういう悲痛な叫びも僕にとっては特別な快感だ。」
「お願い…誰か、誰か…。」

悔しさに息を詰まらせながら水琴は夏奈子から目を背ける。月が差し込むベランダを見つけた水琴は驚愕で目を見開いた。

「え?……なんで…?」


月明かりに照らされたベランダ。その手すりに寄りかかりながら部屋を眺める男子生徒。整っていない服装に気鋭の感じないその姿勢は、間違いなく藤崎雄一郎のものであった…。


「雄一郎君…!」
「何…?」

冴木は、夏奈子に近付ける注射器の手を止めて水琴の視線を目で追いかける。あまりの出来事に冴木は呆然としてしまう。

ベランダの雄一郎は、身を乗り出して目の前の窓に手を掛け、一気に開ける。

「美術室。黒板の方から数えて二番目の窓。大当たり。雛森も随分マニアックな事を知ってるんだな。」

雄一郎は全開した窓の枠に足をかけて、部屋へと乗り込んでくる。
そして、状況を確かめる為、部屋を一望する。

「雄一郎君!」

水琴の表情が絶望から歓喜へと変わる。雄一郎はいつもと変わらず無表情のままであった。

「水琴、お前随分変な格好で寝てるんだな。」
「違うよぉ!私も机の上で寝かされてたの!」

そう言われて、雄一郎は水琴の両脇にある机のベッドを見る。
集められた机は合わせて二十台近くあり、端回りを残して全て使っている。そのせいか、部屋の中心は自由に動けるほどの広さを持っていた。

「お前と…雛森もか。やっぱり、ここがビンゴだったみてえだな。」
「…って、最初の時に気付かなかったの?」
「いや、あん時はゲームを取りに行く事しか考えてなかったからな。そのまま素通りしちまったんだよ。」

この美術室は三階にある。正面玄関側の階段を上り、三階に来たところの左手、廊下の突き当たりに美術室は位置している。

雄一郎は、脇目も振らずに教室に向かって行った為、美術室は完全に視界に入っていなかったのであった。

「もう、しっかりしてよぉ!最初に来てれば一発でわかってたのにぃ!」

呆れ半分、怒り半分で水琴は声を荒げる。雄一郎はそんな水琴を気に留めることはせず、注射器を持った冴木の方を見る。

冴木は、夏奈子の腕から手を離し、注射器を持つ手も下げる。
そして、無表情のまま雄一郎を見据える。

「…で、こんな所に雛森や冴木先生がいるってコトは…。」
「夏奈子ちゃんをさらったのは冴木先生だった!夏奈子ちゃんだけじゃない、他の関係ない女の子を殺したりもしてたの!」
「てえとつまりは、冴木先生が噂の変質者ってコトか…。」

水琴の補足付きで、ようやく話題が冴木のものに変わる。そして、冴木自身も口を開く。

「まさか、君も来ていたとはね。てっきり家に帰って遊んでるものかと思ってたよ。」
「ホントはそうしたかったんだけどな。遊び道具をこっちに忘れて来ちまったんだよ。」
「だけど君も運が悪いね。こんなところに出くわすなんてさ。」
「全くだ。こんな変質者の犯罪現場に出くわすなんてな。」

ふと雄一郎は、冴木の持っている注射器と、教卓の上にあるアタッシュケースに目をやる。

「薬…か。こないだのうすらデブになんかしたのもあんただな?外で血ぃ吐いて死んでるぜ。」
「ああ、アレね。アレはどうしようもない物体だ。とりあえず実験台になってもらったんだよ。強壮剤のね。」
「どうせ失敗だろ?」
「よくわかってるじゃないか。せっかくなんで、完成するまで付き合ってもらったよ。」
「ひどい…。」

水琴は思わず言葉を漏らす。事も無げに自分の行為をひけらかす冴木に、嫌悪感を露骨に表す。

「先生が最近の誘拐犯だったってコトは…。さらわれたヤツは全員殺されたってコトになるのか?」
「結果的にそうなってしまっただけさ。本来なら素晴らしい芸術品が出来上がるはずだったんだよ。」
「あんたの趣味はどうでもいい。要するに死んでるってコトなんだろ?」
「まあね。君にはなおさら説明が無駄なようだね。」

冴木は、雄一郎のいつもと変わらない反応に拍子抜けする。

「それで、今度は雛森がそのターゲットってワケか。」
「そう。…彼女はまだ汚れていない。小さくて幼さの残る彼女はひたむきに学校で働く。健気なもんじゃないか。それが二年三年と経っていけば、そこら辺のゴミ虫みたいな男共に汚されていくんだ。そんな勿体無い事ができるわけないだろう?だから、清純なままの彼女を永久に保存してやろうと思ったのさ。」

歪んだ笑みを浮かべながら冴木は熱く語る。雄一郎はその話には特に興味を示さない。

「ふーん、どうやら継美の予想は当たってたみてえだな。変質者の趣味からターゲットまでドンピシャだ。」
「へえ、彼女がねえ。まあ、僕はああいうはねっかえりは興味がないんで気に留めてなかったけどね。」
「子供相手に選り好みしてるあたり、あんたも本格的な変質者だな。こういうのはロリコンって言うのか?」
「僕をそこいらの変質者と一緒にしないでくれよ。これでも僕は美術の教師。それ相応の価値観をもって行動してるんだからね。」
「芸術も変態も俺にとっちゃどうでもいいんだよ。あんたがとてつもなく変な趣味だってのはよくわかったけどな。」
「そうだね。君に芸術の話をしても全く意味のない事だったね…。」

冴木は苦笑いを浮かべる。会話が一旦途切れると、雄一郎は机の上に横たわっている夏奈子に目をやる。

「で、そこの雛森だけどよ。」
「なんだい?」
「とりあえず連れて帰るよ。」
「は?君は何を言ってるんだい?」
「俺達はそいつを捜してわざわざここまで来たんだ。これでそのまま帰ったらそれこそ無駄骨ってもんだ。」
「それを言ったら僕はここまで来るのに何日もかけて計画したんだ。そう簡単に渡すとでも思ってるのかい?」
「でもそうしないとそこで変な格好で寝てるヤツがうるせぇんだよ。」
「私だって好きでこんな格好してるわけじゃないよぉ。体に力が入らなくて起き上がれないの!」

水琴は声を荒げて弁明する。しかし雄一郎はまるで理解していない。

「はぁ?何言ってんだお前?」
「私は先生に薬を打たれて力が入らなくなったの!それでなんとか動こうとしたら机の上から落っこっちゃったの!」
「バカだなお前。だったら大人しくしてればいいだろーが。」
「だって、夏奈子ちゃんが危なかったんだもん!とにかくちょっと起こしてよ。」
「ったく、メンドくせえな…。」

雄一郎は顔をしかめながら水琴に近付く。夏奈子や冴木との距離が一気に縮まる。

「とりあえず自分で立ってみろよ。」
「うぅ。それじゃあ手貸してよ。」

雄一郎は無言で手を差し出す。水琴はその手に左、右と手を掛けて引っ張りながら上体を吊り上げる。

「あんまし引っ張るなよ。服が伸びる。」
「うーん、もうちょっとぉ。」

力の入らない足で踏ん張りながら水琴は体全体を立たせていく。
よろよろとしながらも雄一郎から手を離した水琴は、すぐ後ろにある机に腰を預ける。

「ほら立てただろうが。」
「でも、まだ歩くのは無理っぽいよ。」
「はぁ?それじゃあ帰れねえだろーが。」
「もうちょっとで薬の効き目が切れそうなんだけど…。」
「そんな悠長に待ってられるか。俺は家に帰って借りたゲームをやらなきゃなんねえんだぞ。」
「この期に及んでゲームとか言わないでよぉ。」

雄一郎はもはや帰る事しか考えない。すぐ近くにいる冴木の事などもはやどうでもよくなっていた。
そして、その冴木がようやく口を挟む。

「おい君達。」
「なんだ変質者。」

見も蓋もない返事で雄一郎は振り向く。冷淡な眼差しで冴木は雄一郎を見据える。

「まさか、ここまま帰るつもりなのかい?」
「ああ。とりあえずこいつを見つけるのが目的だったからな。」
「この子を連れて?」
「そうだな。とりあえず見つかりゃいいとは思ってたけど、さすがに殺されたんじゃたまったもんじゃないからな。とりあえず叩き起こす。」
「藤崎君…。」
「ん?」

冴木は一息ついてから言葉を続ける。

「僕が苦労したこの子をみすみす手放すと思うかい?それに、一連の事件の真相を知った君達をこのまま返すとでも思ってるのかい?」
「さあね。先生がどう思おうと俺には関係ねぇけどな。」
「確かに。君が今からどんな行動に出ようとも僕がする事は同じさ。とりあえず、君と十凪君には眠ってもらう事になる。」
「こいつはどうだかしらねえけど、俺を眠らせるのは無理だと思うぞ。」
「へえ、大した自信だ…。」

冴木は乾いた笑みを浮かべ、注射器を夏奈子の寝ている机に置く。着ているコートの右ポケットに手を突っ込みながら、冴木は机を回って雄一郎に近付く。

「水琴、もう歩けるようになったか?」
「まだぁ。さっき立ったばっかりでしょ。」
「なんだよ。これじゃあどのみち帰れねえじゃねえか。」
「そうそう。今自由に動けるのは君だけ。一人で逃げるだけならなんとかなったかも知れないのにねぇ。」
「それでもいいけど、そうしたらこいつがうるせぇからな。しょうがねえから待ってやってるんだよ。」
「大したナイト様だね。だが、そうして君は命を落としていくなんて想像にもなかっただろうね。」
「なんで俺が死ななきゃなんねーんだよ。」
「ふっ。ここまで来ても想像になしか…。大した脳天気ぶりだよ君は。」

雄一郎と冴木が、夏奈子達の机を脇に対峙する。お互いの距離は一メートル程に縮まっていた。

突然、冴木はコートのポケットから手を出して雄一郎に突き出す。

「雄一郎君!危ない!」
「は?何が?」
「これがだよ!」

――シューッ!

スプレーの噴射音。水琴にも使った催涙スプレー。その気体は雄一郎の顔面を覆う。

しかし、当の雄一郎は微動だにしなかった。催涙ガスが眼前に立ち込めようとも、雄一郎はそれにたじろく事はなかった。

そして、催涙ガスは雄一郎の前で周りの空気にかき消されていった。


「それで、何が危ないんだ?」

冴木の表情から完全に笑みが消えた……。


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